阿蘇山のふもとでゆっくり湯につかり、おいしい料理をたべて、身も心もいやしていただきたいと、昭和28年に開業し、今日に至っています。
開業以前の昭和7年に自宅だった頃に宿泊された、与謝野寛・晶子御夫妻の世界にも浸ってみて下さい。
開業以前の昭和7年に自宅だった頃に宿泊された、与謝野寛・晶子御夫妻の世界にも浸ってみて下さい。
震災から一年たって感じた事・・・
3.11から一年たった昨日、いろいろな報道番組を見ながら感じた事があります。
それは、やはり震災を風化してはいけないという強い想いでした。
なので被災地に行った時にはなぜか心苦しくてアップできなかった、自分の目で見た
宮城県石巻市の被災の様子をあえて一年たった今、ブログにアップします。
昨年の11月、震災から8ヶ月たった石巻は、瓦礫こそだいぶ無くなっていましたが
逆に建物が何も無い、残っているのは躯体だけの建物になった町並みでした。

本当に何も無く、ここに以前は町並みがあり人が住み営みがあったのか・・・
と思うくらいの状況に思わず言葉を失い、ただそこに立ち尽くしました。

そしてTVで何度も見た高台に登ってみると、やはりTVで見たとおりの光景が・・・
ヘリで患者が輸送されていた市民病院もここの高台の目と鼻の先でした。

そして道路わきには依然としてこのような巨大な物体が放置されていました。
向こう側に見えるのは瓦礫の山です。

そして最後に訪れたのは紅白歌合戦で長渕 剛さんが熱唱していた中学校。
3階建ての建物の一番上まで残る波の後を見てまたもや言葉を失いました・・・
本当に想像を絶する光景が目の前には広がっていました。

何が出来るのか・・・それは人それぞれだと思いますし、
被災地にはこれからも支援は続けていかなくてはなりません。
遠く離れた九州から、これからも必ず出来る事があると信じて・・・
その為の第一歩としてこの景色は風化させてはいけないと強く想ったこの日でした!
それは、やはり震災を風化してはいけないという強い想いでした。
なので被災地に行った時にはなぜか心苦しくてアップできなかった、自分の目で見た
宮城県石巻市の被災の様子をあえて一年たった今、ブログにアップします。
昨年の11月、震災から8ヶ月たった石巻は、瓦礫こそだいぶ無くなっていましたが
逆に建物が何も無い、残っているのは躯体だけの建物になった町並みでした。
本当に何も無く、ここに以前は町並みがあり人が住み営みがあったのか・・・
と思うくらいの状況に思わず言葉を失い、ただそこに立ち尽くしました。
そしてTVで何度も見た高台に登ってみると、やはりTVで見たとおりの光景が・・・
ヘリで患者が輸送されていた市民病院もここの高台の目と鼻の先でした。
そして道路わきには依然としてこのような巨大な物体が放置されていました。
向こう側に見えるのは瓦礫の山です。
そして最後に訪れたのは紅白歌合戦で長渕 剛さんが熱唱していた中学校。
3階建ての建物の一番上まで残る波の後を見てまたもや言葉を失いました・・・
本当に想像を絶する光景が目の前には広がっていました。
何が出来るのか・・・それは人それぞれだと思いますし、
被災地にはこれからも支援は続けていかなくてはなりません。
遠く離れた九州から、これからも必ず出来る事があると信じて・・・
その為の第一歩としてこの景色は風化させてはいけないと強く想ったこの日でした!
2012年03月12日 22:54│Comments(0)
Posted by 蘇山郷